お久しぶりです!S君です! なにかとしんどかったこの1年間、ブログのことをすっかり忘れていました(汗) ダメですね・・・・・・ とりあえず近況報告です 去年の初めは、しょうじきなところ完全に煮詰まっていました 応募できる企業様もほとんど残っていなかったし 免疫の数値も下がり始めて、むしろ体調が悪くなっていました 履歴書を送る際の自己紹介文にも 「体調に不安が残ります」としか書けなくて、余計に不利でしたね そこへ実家からいろいろ家庭の問題をぶつけられて (実家が嫌で逃げ出してきたのに・・・) ウツ病っぽくもなりました ↓↓↓ 良いできごともあったんですよ!! 生活保護の担当さんが、初めて若い女性の方になったんです やっぱり男性同士だと、偏見もあったんじゃないかと思います AIDSだし、GAYを想像しちゃいますよね 年に一度、担当が替わるときに挨拶に来る以外はまったくの放置だったんです 彼女に代わってから、頻繁に家に来てくださるようになって 電話で相談したり、区役所に出向いてS君が知らなかった情報を教えてくれました 余談ですが、生活保護費の中に障害者給付というのを入れるのを 最初の担当さんがすっかり忘れていたそうなんです 大金だし、原則的には遡って支払うことは出来ないと言われましたが・・・・・・ゴニョゴニョ(笑) おかげで、資格を増やしたり、学校に通ってスキルアップをする機会をいただきました そんな1年でしたね 当たり前だけど、生活保護を受けるとどうしてもあれこれと制限がかかりますから こっちも必要以上に経済に神経質になって、そのせいで気持ち的にも活動が狭くなってしまうのはあると思います 服だってボロボロのままでした 髪もお洒落になんて出来ません 友達との交流も減っていきます なによりも相談相手がいないのが苦しかったですね・・・・・・・ 台所でゴハンを作っているとき、独り言をいっているのに気付いて ほんとにほんとに怖かったです(泣) そんなとき、新しい担当の女性の方は、気軽に相談に乗ってくれました まさかと思うでしょうが、たったそれだけで視点がガラッと変わったのです よし、もう一回チャレンジしてみよう! 煮詰まってる場合じゃなーーーい! 返事を待つだけじゃなくて、もっと強気に出てみるぞ! そう思えましたね いまは、学校と就職活動の二束のワラジ方針で攻めているところです 東北地震以来、世の中不景気です 大学新卒ですら就職が難しいご時世ですが、S君も負けずに就活戦争に 参戦していま~す 近況報告でした 今日は医大の検査の日です ちょっとでいいから数値が上がっているといいなあ(汗) やみくもに 履歴書を送り続けているS君ですが、 最近もうちょっと欲が出てきました 欲というより目標ですね そういえば、高校のとき学校をサボって図書館に入り浸ってたとき アメリカの化粧品セールスから始めて、社長にのぼり詰めたおばさんの 自伝を読みましたね 「目標なしにがんばるより、ゴールを設定して ひとつずつこなしていくほうが 効率いいし、成果も大きい」 「3つのゴールを決めましょう 大きな将来の夢! これが3つめ その夢をかなえるには 自分がどんな人間にならなきゃいけない? これが2つめ 道のりは長いわよね、気が遠くなっちゃう だから一歩目は小さくていい 今日・明日・今週中に出来る事を決めましょう これが1つめ」 なるほどって思いました S君、大きな夢だけ決まってて、2つめは諦めちゃってたのかも・・・ それじゃ叶うはず無いですよね・・・ ちょっと、履歴書を書きながら、しっかり計画を練ろうっと 計画がしっかりしていれば、今と違ったやるべきことが見えてくるはず!! ふたたび東京に出てきてから出来た友達に、「コウ君」がいます GAYネット掲示板で出会ったけど、彼は結婚してます 平均的な役職持ちのサラリーマン 子供がたくさん!いまどき珍しいですよね お子さんの用事で パパが出動しなきゃならない日が増えて このごろはめったに会えませんが、会ったらいろいろ積もる話をします (あっちの話題はカワイイ我が子のコトばかりです・・・笑) 初めて待ち合わせ場所にやってきたとき、 真面目な顔もイケたし、好みの鍛えたデッカイ体だし 好きになっちゃうタイプのはずなのですが、 いっしょに居ると肌で感じる 包容力?やさしさ?思慮深さ?のスケールが久々にデカイのが判って SEXはしたものの 「友達になれそう」って 敢えて言いました 変にヤリ目的が固定する前に、早めにケジメをつけて仲良くなりたかったので 彼に家庭があるのを知ったのは それからでした ☆☆☆ コウは、じぶんがいつ男に興味を持つようになったか、はっきり思い出せないそうです というか、、、どの時点をもってGAY(またはバイ)と呼べるのか? なんて、 大きな問題ではないー! と言います 「相手が男か 女か または友達なのかで、 もちろん対応は変わるけど、 自分の中の愛情の源は同じだ」 ということらしいです 彼のノンケ友達に紹介されて、いっしょに飲んだりもしますけど いつでもみんなにやさしい男です S君が失恋したりして落ち込んでいるときは 何も聞かずに 遠いところへドライブに誘い出してくれたり そのあいだ、出来るだけ他のコトを考えさせようとしてるのか 珍しくおしゃべりになったり コウ君という あったかい揺りかごの中にいた気分でしたね ☆☆☆ そんな彼も、涙目で S君に相談してきた日があります 僕と会う前の話ですが、 ある年上の男性と知り合って、激しく恋に落ちてしまい 毎週のように会っていたと 会ったら、オレってこんなにも性欲が強かったの?って 驚くくらい求め合って 家庭を忘れて、その男性のことしか考えられなくなったと その方は完全なGAYで、母子家庭で 都内で親子二人暮し、仕事は自営業だったそうです 付き合って行けばいくほど お互い 辛かったでしょうね どっちの気持ちもわかります で、やっぱり とうとう 何年か経ったある日 ケンカになりました 『これから俺達どうするの?』 愛情は冷めるどころか、ますます本物になっていたね と当時を振り返ってコウは言いました 相手の理想は、彼氏を実家に迎えて、 将来は2人で母親の介護をして、看取る あとは男同士でなんとかやっていく 最低線、それくらいの将来設計が無いと 気軽に親にカミングアウトできないよ でないと逆に 母親を不安にさせちゃうじゃん? と 当時S君と同じ30歳前後なのに、しっかりした方です。感心します で、問題は・・・ コウの方でした オレが結婚さえしていなければ! せめて子供がいなければ! こいつのところへ走っていって、一緒になろうって言えるのに 愛する気持ちは彼氏さんも同じですよね でも奥さんと子供がいる人に、いったい何が言えます? そこまで経緯を聞いて、コウが涙目になって 「あのときオレは ”家庭を捨ててくれ”って あいつに言って欲しかった そしたら迷わず あいつんところに走っていったよ いまでももし言われたら、いつでも家族を捨てられる」 S君、ほんとうに驚きましたね どんな時でも コウは家庭第一だと思ってたから どっちもが、おまえが欲しいって本気で思っていたのに 結局言い出せなかった 2人が結ばれることはありませんでした 相手はまた一人身に戻り コウは 以前よりも増して家庭に尽くすようになり ☆☆☆ コウと会うと、相変わらずやさしい。 安心していられます いまでは男遊びはまったくしていないそうです 相手のたった一言で 子供も捨てられる激しさを持っているんだと 知ったS君は なんでだろう 彼の事が前よりもっと好きになりました 愛って、美しいだけのものじゃないんだね ってことを教えてくれたから 2010年 代々木公園! 今日、ここに来ていない 同性愛者が どれだけいて どれだけ僕達と違う 生活をしているんだろう?! みんなは、『借り暮らしのアリエッティ』の 原作を読まれましたか? たった家族3人だけで 小さな家の狭い床下で借り暮らし・・・ ここだけが 小人に残された世界だって信じ込んでいたら 広く厳しい自然の中で たくましく生きていたもっと大勢の仲間が いたわけです 一夜明けて それがS君に残った想いです♪ きのう、朝 突然友達から電話があって 「東京プライドに 中西圭三が出るから ライブ聴きにいこうよ」って誘われまして (なんてタイムリーな奴・・・) TVでしか見たことなかったので ちょっとライブにも興味をそそられまして 東京プライドへ行ってきました 暑かった(汗) ステージのかぶりつきより ちょい後ろで 立ったまま (足疲れたー(;´Д`)) ライブを楽しんできました ものすんごいヒトでした いままでで一番じゃないかって 友達は言ってた でも!それよりもね むしろ、 日本には、今日このパレード会場にいる人々とは 全く違うライフスタイルでやっている ぼくらが知らないタイプの 同性愛者が この何百倍も いるんだ!!! そのことを改めて感じたんですよね これから S君の生き様によっては そんなヒトと出会えるかもしれない! 考えたらワクワクします♪ パレードも 二丁目も 飲み屋も Club遊びも ハッテン場も ネット掲示板も必要ないけど 一般社会ときちんと融け合っていて 自分なりの努力で共存していこうとしているGAYさんたち カミングアウトを必要としないGAYたち ぼくらは、彼らのことを絶対に忘れてはいけません もっと彼らのことこそを知って 学べるものがあるんじゃないかなあと S君は 夏の空を見上げていました ~まだ書きかけかも 掃除洗濯終わったら 続きを書きますね~ 台風がやってきて、毎日涼しい 過ごしやすいですね でも友達とプールで泳いだり 日焼けできないので ちょっと残念です 主治医からは あまり日焼けはするなよー と言われているのですが・・・ さてと 明日は東京プライドパレードです http://parade.tokyo-pride.org/7th/ 「GAYです」というのは、僕にとっては 少なくとも 初めての人に向かって 最初にいう事柄ではありません 去年六本木で出会った年下の女の子は 共通の知り合いの女性に ホモなのよーと紹介されたからか 自分のまわりにいた GAY友達と S君が ほぼ同じなのだという 先入観を いまだに捨てきれずにいます 焼きついた 最初のイメージを 引きずっちゃってますね S君としてじゃなく、とっくに「GAYのS君」 になっちゃってるんですね(笑) まだ時間がかかりそうです ひょっとして 「個人としてより、GAYです!って自己紹介するほうが ラク!」 っていきなりやっちゃったヤツらの 割りを食った?(-_-;) 誰にも聞こえない、見えない部分で ちいさな被害があるのです ほんとはいろんなタイプのGAYが存在するのに 一部のGAYだけが 取り上げられて 世間から それが全体のイメージのように思われてしまっています 違うんじゃないか? それは俺達じゃないぞ! って 声を上げてこなかった そんな残り多数の 僕達自身の責任でもあります 明日はパレードです 世の中はどんな風に評価するでしょうか 05/23: 東京プライドパレードの延期について http://www.onnamedia.com/kitahara/index.php?itemid=52 ↑↑↑ こんなご意見もあるのですね (当時の)彼女は、 『レズビアンの議員が「レズビアンである」と公表して「セクシュアルマイノリティの人権」を訴え立候補しても応援しない「東京プライドパレード」なんて、それこそ存在意義に疑問がでてくる』 『政治に全くの無関心で全くの距離を持つ全くの中立である「パレード」なんてものはあり得ない』 『政治的中立、というのはどういう「立場」であろう。誰にとっても「中立」な、マイノリティのイベントとは、どういうものなのだろう』 と仰っています。 どういうものなのだろう、というフレーズが心に残りました これは、僕に向けても、言われている言葉だからです 答えになっているかどうかわかりませんが・・・ もし彼女に直接問われたら、こう答えます 「あなたが僕達にたいして 感じた”中立”という位置は、 GAYやレズビアンを毛嫌いする人々 興味すらなかった人々 さらにそれ以外のいろんな人々とも いっしょに 共に 妥協点を探って 折り合いを付けながら やっていこうとしている立ち位置です」 と。 同じ同性愛者の中で、主義の違うもの同士が いっしょになれなくて それこそ パレードになんの意味があるでしょうか? ちょっと辛口に言えば 同じ同性愛者間で 折り合いも見つけられないのに 政治的?もひったくれもないですよ なぜ、AIDS患者として就職活動するの? S君に対してみんなが思うことです いくつかあるのですが、きょうはその中で 1つの理由を書きます 僕が 本名 住所 顔写真の入った障害者手帳のカラーコピーをきちんと入れた上で 履歴書を送ることで いろんな企業が AIDS患者について関心を持ってもらえるようになるから こうすることが 一番大事なんだ、と思ったのには きっかけがあります 実家に帰っていたとき、地元で雇用保険(旧失業保険)の手続きをしました ハローワークの障害者窓口で、受給申請するわけですね 障害者も、もちろん求職活動をしているという実績がないと 毎月手当てを頂く事が出来ません そこは健常者と同じです しかし、S君の実家は、日本でも有数の 田舎 閉鎖的という点では 日本一 かも・・・(笑) 担当してくれたお兄さんが 言いました 「とうとう来たか、って感じですね 仕事柄、障害福祉施設の社員さんと 会議をするのですが 年々増え続けるHIV・AIDS患者さんが そのうちハローワークにもやってくるんじゃないか?って そのとき、俺達はどんなサポートが出来るのかなって 去年話したんですよ じゃあ、どこから手をつければいいかが さっぱりわからなかった 気が付いたら、あれから1年が 経って いま、とうとう来たのか とショックを受けています」 まあ、なんと正直な でも、素直にそのとおりなんでしょうね AIDSという言葉が社会に出てから何年経ちます? なのに、僕の実家のハローワークに AIDSで障害者ですって 訪れたのは 僕が初めてだったんですよ!! 結果としては、僕が東京に出て来る事になったので 地元でAIDS患者として就職できた第1号にはなれませんでした でもオマケとして、地元のハローワークと その周りに対して 本当にAIDS患者がやってくるんだぞ? という もうひとつ先のステップへと 踏み込んでもらえたんじゃないかと思います これと同じことを、企業に対してたくさんやっていけば そのときは不採用でもいいんです もしかしたら、そこの人事の誰かは 「俺は 面接してみたかったな」 「あたしは 会ってみたかったな・・・」 って思ったかもしれません そして、月日が経ち、その子が権限を持てるようになったとき また障害者からの履歴書を受け取ることでしょう 「ああ あのときはAIDS患者さんに会えなかったけれど アタシは会ってみよう」 って 考えてくれるかもしれません S君は、自分の収穫だけではなく 僕の後の世代のために ついでに種まきもしていこうと 思ってます 30年 自分のためだけに我侭に生きてきました でも これだけは ささやかですが世の中のために貢献できていると 信じて疑いません お役所も 制度を作るという形で努力してくれています 団体も 企業に向けてアピールし続けてくれています ボク個人が 出来ることが あるはずですっ さあ 今日も履歴書を書きましょう 地道な作業の積み重ねが いつかどこかで 誰かの役に立つかも 知れないから こんにちは、S君、ひさしぶりの更新です。 なにをしていたのかって? 「生活保護を受けていたから、遊んでいたんでしょう?」 なんて言わないでくださいね(泣) そんなことできません 就職活動をしていました でも・・・じっさい 気持ちは半分諦めモードでしたね おととしの春から仕事を探し始めて、 面接にさえ辿り付けないまま、お断り通知が帰ってくるだけの日々 これはやってみないとわかりませんでしたね 辛いです 障害者向け募集以外の企業にも、事情を説明した手紙を添えて 履歴書を送ってみましたが、結果は同じでした ひどいときには返事すらありませんでした 僕も、焦るのをやめて もっと人付き合いのほうに時間を割いていました 新しい友達が出来たり、 退院後に実家に戻ったせいで、繋がりが途絶えていた友達を自分から訪ね またAIDS患者と知ってもらった上で遊べるようになったり 彼氏も出来たり (別れたり・笑) 笑って、泣いて、惚れて、苦しんで そのせいかな・・・自分の中に変化がありました 僕、AIDSってことで、ずいぶん自己卑下しすぎてたんじゃないかな・・・? って、ようやく客観的になれたんです そうすると、これまでの就職活動を見直す余裕が生まれたんです もし 僕が 人事担当なら? その視点で自己アピールを読み返すと、なんとまあ・・・(恥) イジイジ ジメジメしてる文章でしたね 僕だって こんなヤツ 採用したくありませんよ(呆) もっと自信持て!! 得意分野だってあるんです 足りない部分? じゃあ補え!! こんな風に書けるようになったのも、 あえてこの一年、 「仕事探しだけ」と焦らないで 自分探しに費やせたからかもしれません。 さあ!ならばここで仕切り直しです!! ぼーーっとしていないで、再チャレンジ!! 祖母のお気に入りの、鉄のフライパンは いつどこで買ったの?と聞いても、「もう忘れちゃったわ」というくらい古い テフロン加工のお洒落なフライパンの方だけがどんどん代替わりしていく中で 母が「これ、もう捨てるわよ」と云う度に ゴミ捨て場から拾っては元に戻していた 鉄とお焦げがいっしょになってわからないくらい真っ黒で 見た目も汚いけど、長年の油が馴染んで、それはそれは使いやすかった 一人暮らしをするときに、いつも新しい鉄のフライパンを買う まだ火を通していないものは顔が映りそうな銀色をしているが、 コンロの炎で焼きを入れるとみるみるうちに真っ黒に変わっていく たっぷりの油を引き、食べるでもない古野菜をただ、炒めてみる それですぐに使えるようになるかいうと、そうではない しばらくは何を焼いても焦げ付くばかりで お焦げを洗っては落とし、薄く油を塗って馴染ませ 、 そんな手間を何度か繰り返すうちに、いつしか美味しく焼けるようになる日が来るのだ ********** 喧嘩のような別れ方をして、忘れた頃に電話が来る 聞いてみれば他愛もない用件なのだが、結局夕飯でも食べに行こうという話になる しばらくは一緒に買い物をしたり遊びもするが お互い一緒にいる時間が長くなると、つい物を言いすぎて、熱くなり 嫌なところも見え 会ったのを後悔したころには、熱した男二人の上では あちこちにお焦げが出来上がっている ああ そろそろ一度きれいに洗わなくちゃ と気付く ********** 少な目の洗剤を付けたやわらかいスポンジで ゴシゴシと真っ黒に焦げついた燃えかすを落とす 面倒だが、今度また使うときのために 水気を切って、また薄く油を塗っておく テフロン加工なら、さっと水でゆすげば終わりなのだが また食べるときの美味しさが忘れられなくて、ついこの鉄のフライパンを使い続けているのである ********** もういいさ、とゴミ捨て場に捨てに行ってみるのだが もったいない、でもなく まだ使えるから、でもなく ただ、小さい真っ黒なお焦げがあちこちに残って それが 思い出のようで 懐かしいようで つい捨てられないでいる あれからいろんなテフロンのフライパンを買っては使い試してみた 焦げ付きもせず、手間はかからないが 出来上がった料理は特に美味しくもなく、どれも不思議と同じ味がする 今日も、夕べ水に漬けておいた鉄のフライパンの手入れをしている 美味しく焼けた分、面倒な手入れが待っていると知りながら いつかそんな手間を何度か繰り返すうちに 馴染んでくるようになる日を待っているのだ S君 いま、台所で昨日の夕食で使った食器を洗いながら、考え事に耽っていた。 (洗濯とか掃除とか、料理をしている時って、 真剣になにかを求めて考えようとする時よりも、 いろんなアイデアや思いもよらなかった疑問が浮かんでくるのは何故でしょうね?) どうして、就職を相談したみんなが、最後には 「AIDSなんて黙って就職しちゃえばいいじゃない」 と、口をそろえて言うのだろう。 なぜ?なぜ?なぜ? 素朴な疑問。 体調の良いときのAIDS患者は所詮、障害者ではないから? そうかもしれない。健常者に限りなく近い、障害者だなあと、自分でも思う時もある。 緊急入院をした前後の、全身が傷とカサブタだらけで、自分の肺で呼吸することさえ出来なくなっていた頃を思い出す。 病院で吸った酸素が、ああ、空気ってこんなに甘くて美味しかったんだ・・・っていう、あの頃。 今頂いているこの薬が、ウイルスを永遠に押さえ込めるという保証はどこにもなく、 免疫を下げてしまったら、またいろんな病気に罹るかもしれず。 死ぬ確率だってゼロじゃない。いつもそう思ってる。 心の準備だけは完了してる。 正直、長くは生きない、早めに死ぬもの、というか・・・既に死んだという前提でいまは生きてる。 「黙ってればいいじゃない」、って言い出す人に、必ず聞いてみたい。 もしアナタが雇用する側で、たとえば・・・面接担当だったとして、 AIDS患者が応募してきたら、 「いつか体調悪くなったりしないかなあ?」って思わずにいられるのかな? 「健常者より体、弱くないかな?」ってまったく疑問に思わないのかな? 単にHIVキャリアなのではなく、発症し酸欠で死ぬ一歩手前まで行った体験があると、 「AIDS患者の死亡率が下がりました!」 「もう普通の生活が送れる時代になってます!」 なんて甘い言葉は他人事に思える。 実際、発症していない人々と、S君は違うのだ。 すこしその、患者の心理が・・・ベツモノなんだと、見ていただきたいなあと、いつも思う。 しかし、まわりからすれば、HIVもAIDSも十把一絡げなのが現実だ。 就職の際に、隠すべきでないと思うのは・・・ だからなのですね、きっと。 S君 そんなノミに全身をかまれて、夜も眠れない状況に、さらに追い討ちをかけるようなコトがありました。 母親が拾ってきた野良猫でも一番年老いた雄ネコが風邪を引いて、肺炎になったそうです。 一日中しきりに大きな口をあけて、咳をして、部屋に菌をばらまいていました。 S君なら、仮にも自分が拾って面倒を見ているネコが病気なら、心配で目が放せないんじゃないかと・・・思うのですが・・・ なんと母親は、「このネコは床の間が気に入っていたからそこじゃないと眠れないの!」 と、自分の部屋から追い出し、S君の部屋に持ち込んできたのです。 CD4は相変わらず40未満、 全身が地肌が見えないくらいノミにかまれてカサブタだらけにされて、 肺炎を患っているネコまで部屋に持ち込まれたわけです。 正看護婦であった90歳近い祖母が、さすがにこれは見かねて、雄ネコを連れ出してくれなかったら、どうなっていたのかと思うと背筋が寒くなります。 それから、畳のノミについては、S君の貯金と祖母が少しお金を足してくれて、張り替えることになりました。 母親は一円も出していません。 おかしいですよね? ネコを家に持ち込んではいけないという我が家のルールを破って、6-7匹も買い始めた張本人が一円も出さないなんて、おかしくないですか? 一ヵ月後、AIDSの抗ウイルス薬をとうとう飲み始めることになりました。 経験がおありの方はご存知かと思いますが、飲み始めの2-3ヶ月間、カラダが慣れるまで色々な副作用が出ます。 S君のときは、全身にヘルペスが出来てしまい、、、 あのチクチクした痛みは、一箇所でも相当気になるものなのに、 それはそれは辛かったです。。。 痛み止めのお薬を、倍以上飲んで、なんとか気を紛らわせられる状態でした。 ノミが解決したと思ったら、今度はヘルペスでまったく眠れない日々が、始まりました。 夜中、ベッドの中でうとうと・・・として眠りに落ちたかと思うと、うっかり寝返りを打ちます。 すると、ヘルペスが体中にあるものですから、チクッ!と激痛が走って、目が覚めてしまいます。 もう2ヶ月以上、きちんと熟睡できておらず、カラダも精神的にも限界が来ていました。 そこで、家族にお願いしたんです。 ヘルペスが治るまで、朝昼晩、S君が眠れている間だけ、静かにしていて欲しい・・・と、 お願いしたんです。 ところが、お願いをした次の日から、母親が床の間がある側の、家の庭に出てきて、大騒ぎをするようになりました。 それまで、たまにしかしていなかったのに、お願いにあわせてするように、なったんです。 S君が眠った頃に合わせて、 「○○(ネコの名前)ーーー!どこへいったのーー!!ゴハンよーーー!かえってきなさいーー!!」 と、エサを入れるアルミのお皿を棒切れで叩きながら、庭を大声を出しながら歩き回るのです。 これは真実で、本当にあったことです。 祖母にお願いして、母親にやめさせるよう伝えても、一度もなくなりませんでした。 抗ウイルス薬を飲み始めたものの、他の人のようになかなかCD4が回復せず、免疫に対する不安が募る一方で、そろそろ睡眠不足が(・・・不足というよりまったく熟睡できないまま)4ヶ月が経とうとしていました。 < 前のページ次のページ >
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